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暇にまかせて(花と史跡をたずねて)H17.2.15更新
                  もう、日差しは春。  早春の町や野を歩いた。
                  春は季節の始まりであり、節目の時でもある。
                  気まぐれな天気と、受験に就職に転勤にと波乱の時。
                  でも我々には、遠くになってしまった人生の春は 懐かしむのみ。              
(左)天誅組本陣跡(櫻井寺)2月10日
奈良県五條市・ここから明治維新の先駆
となる『天誅組の変』(1863年)が起こる。
中山忠光を盟主とする志士たちが五條の
代官所を襲撃するが、幕府に鎮圧される
その足跡を歴史散歩グループで訪ねた

(右)庭の梅・接写
2月6日になり、ようやくほころぶ。
梅の花は香りがなんともいい。
庭はいまから5月までが良い季節
それ以降はやぶ蚊だらけになる。
(左)熊野古道ウオーク2月11日
ツアーで梅の香熊野古道ウオークに参加
コースは切目駅〜千里王子までの8km
梅はもう咲いているはずだったのに
1〜2分咲き程度でがっかり。
道中、比較的開いているものを一枚。

(右)熊野古道ウオーク2月11日
千里の浜は熊野古道随一の景観で
アカウミガメの産卵地としても有名
こうゆう自然は未来永劫に守らねば。
私の持論だが、経済より自然が大切。
(左)京都府立医大・解剖学標本室
生涯学習センターの解剖学の講座で
授業の一環として藤田先生の案内で訪た
写真は学生数人に一体づつ貸される人骨
人体の構造の巧妙さに驚く
生物40億年の進化の果てが人間?

(右)京都府立医大・解剖学標本室
人体の各部がホルマリン漬けである。
胎児の3mmから皆本物の標本。
写真で見せるのも・・と思い
ポピュラーな骨格見本をアップした




                 1月23〜24日に急に韓国のワケアリ格安ツアーに誘われたのでいった。
                 博多港→水中翼船3hr→釜山港→釜山市内観光→ホテルパラダイス泊
                 →自由行動(6人で車と美人ガイド付を手配してもらった)→水中翼船→博多港
                   (ワケアリの意味はツアーの人間の頭数揃えのため)                                
(左)釜山・国際市場
広大な面積を誇る国際市場は
商品毎に街区が別れている。
映画館街、眼鏡屋街、衣類街など
狭い路地に軒を連ねてみせがある。

(右)釜山・国際市場
露店の土産物屋など日本なら交通違反。
戦後の闇市の様相を見せる。
迷路の様な道路は、一人では
迷わず歩く自信はない。
韓国のキムチパワーが感じられる。
(左)釜山・PIFF広場
釜山国際映画祭PIFFに参加した
著名人の手形が路上に埋め込んである。
まず最初にビートタケシの手形があった。
手の大きさを比べたら、私とほぼ同じ。
その他今村昌平など発見した。

(右)チャガルチ市場
水揚げ量韓国一を誇る。
写真では実感をうまく捕らえていないが
とに角、人が多く活気に満ちている。
元気を失いつつある日本とは少し違う。
(左)チャガルチ市場 ・ おおミミズ?
売っている魚は活き魚が多い。
日本のスパーの様に切り身の陳列で
ないので、見るのがおもしろい。
おおミミズみたいなものも売っていた。
直径15mm・生で食べるのだろうか?

(右)龍頭山展望塔から見た市街地
国際市場近辺を展望塔から見た様子。
釜山はは殆どの家がコンクリート作りで
日本の様に木造一戸建ての家は殆ど無い。
韓国には地震は少ないと言う。
(左)釜山・海雲台のホテル前
電飾の写真の撮りかたを色々試した。
でも、後で見ると写真と撮りかたの
関係が分からなくなってしまった。
比較的きれいに撮れたのを一枚。

(右)ホテルの窓から見た朝の浜辺
市街地の近くに奇麗な海水浴場がある。
砂浜も掃除が行き届いてゴミが無い。
釜山は山が迫っていて山の上まで家が。





                 歴史散歩の会で、京都に新選組の足跡を、二度ほど訪ねた。
           NHKのドラマで見ているので、人名等分かりやすく親しみやすい。

         ドラマを見ていく内に、堺 雅人の演技が上手かったのか、山南敬介が好きになった。
           山南の実際は知るよしもないが、ドラマの上で、優しさと知性、煮え切らないで考え込む所、
           少し間が抜けている所など、その平凡とも言える人間性に共鳴した。
         屯所の八木邸近くに、光縁寺と言う小さなお寺があり、中に山南の墓がある。
(左)山南敬介の墓
光縁寺の一番奥に山南敬介の墓がある。
ここの和尚の説明が上手で、
勉強にもなりまた面白かった。

(右)観光客が増えたのか新しい看板がある
山南はその寺の瓦の紋が山南の家紋と同じで
あったことから住職と親しくなった。
ここには新撰組の隊士28名の墓がある。
幕末の激しい息吹きが聞えてくる。
(左)八木邸前
八木邸の入場料は千円と高く、入場を避けた。
約二年、八木邸を中心に新選組は活躍するが
その間、芹沢鴨の謀殺、山南の脱走、
池田屋事件など多くのドラマを残している

(右)前川邸
八木邸の30m近くに、後の屯所となった前川邸
がある。ここの納屋で古高俊太郎の拷問をし、
守護職、所司代を襲う計画を知り、池田屋事件の
発端となった。
(左)壬生寺
八木邸の近くに壬生狂言で知られている壬生寺
がある。境内に新撰組の羽織を着て、観光客の
撮影に応ている?尋ねてみると、関東の方から
来ていて全く個人的に趣味でやっているとか。
奇特なひともいるものだ。

(右)壬生寺・近藤勇像
不良で動物的な土方歳三に対し、近藤勇は
誠実な 努力家であったらしい。何のために、
何を守ろうとし、何を変えようとしたのか。
本当は何だったのか。本人にきてみたい。
(左)伊東甲子太郎絶命の地・本光寺の中
本光寺の前でうろついてたら、おじさんが
寄ってきた。そして親切に寺の人を呼んでくれた。
門が開き寺の中から老いた尼さんが出てきて
狭い境内の中にある碑の説明をしてもらった。

(右)本光寺の尼さん
伊東甲子太郎は文武にすぐれた人で近藤が
スカウトした。しかし勤皇論者である伊東と
近藤は意見が合わなくなり、新選組と別れた後、
芹沢と同じ策略で殺される。この乱闘を
油小路の変と言う。激しい時代である。









 
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NO日付内容
H16.5.30弘川寺(西行終焉の地)・湖東三山
H16.6.30葛城・高雄・六甲山・志賀島
H17.2.15熊野三山・大門坂 森林公園 書写山 出石町など