もう、日差しは春。 早春の町や野を歩いた。 春は季節の始まりであり、節目の時でもある。 気まぐれな天気と、受験に就職に転勤にと波乱の時。 でも我々には、遠くになってしまった人生の春は 懐かしむのみ。
(左)天誅組本陣跡(櫻井寺)2月10日 奈良県五條市・ここから明治維新の先駆 となる『天誅組の変』(1863年)が起こる。 中山忠光を盟主とする志士たちが五條の 代官所を襲撃するが、幕府に鎮圧される その足跡を歴史散歩グループで訪ねた (右)庭の梅・接写 2月6日になり、ようやくほころぶ。 梅の花は香りがなんともいい。 庭はいまから5月までが良い季節 それ以降はやぶ蚊だらけになる。 | ||
(左)熊野古道ウオーク2月11日 ツアーで梅の香熊野古道ウオークに参加 コースは切目駅〜千里王子までの8km 梅はもう咲いているはずだったのに 1〜2分咲き程度でがっかり。 道中、比較的開いているものを一枚。 (右)熊野古道ウオーク2月11日 千里の浜は熊野古道随一の景観で アカウミガメの産卵地としても有名 こうゆう自然は未来永劫に守らねば。 私の持論だが、経済より自然が大切。 | ||
(左)京都府立医大・解剖学標本室 生涯学習センターの解剖学の講座で 授業の一環として藤田先生の案内で訪た 写真は学生数人に一体づつ貸される人骨 人体の構造の巧妙さに驚く 生物40億年の進化の果てが人間? (右)京都府立医大・解剖学標本室 人体の各部がホルマリン漬けである。 胎児の3mmから皆本物の標本。 写真で見せるのも・・と思い ポピュラーな骨格見本をアップした |
1月23〜24日に急に韓国のワケアリ格安ツアーに誘われたのでいった。 博多港→水中翼船3hr→釜山港→釜山市内観光→ホテルパラダイス泊 →自由行動(6人で車と美人ガイド付を手配してもらった)→水中翼船→博多港 (ワケアリの意味はツアーの人間の頭数揃えのため)
(左)釜山・国際市場 広大な面積を誇る国際市場は 商品毎に街区が別れている。 映画館街、眼鏡屋街、衣類街など 狭い路地に軒を連ねてみせがある。 (右)釜山・国際市場 露店の土産物屋など日本なら交通違反。 戦後の闇市の様相を見せる。 迷路の様な道路は、一人では 迷わず歩く自信はない。 韓国のキムチパワーが感じられる。 | ||
(左)釜山・PIFF広場 釜山国際映画祭PIFFに参加した 著名人の手形が路上に埋め込んである。 まず最初にビートタケシの手形があった。 手の大きさを比べたら、私とほぼ同じ。 その他今村昌平など発見した。 (右)チャガルチ市場 水揚げ量韓国一を誇る。 写真では実感をうまく捕らえていないが とに角、人が多く活気に満ちている。 元気を失いつつある日本とは少し違う。 | ||
(左)チャガルチ市場 ・ おおミミズ? 売っている魚は活き魚が多い。 日本のスパーの様に切り身の陳列で ないので、見るのがおもしろい。 おおミミズみたいなものも売っていた。 直径15mm・生で食べるのだろうか? (右)龍頭山展望塔から見た市街地 国際市場近辺を展望塔から見た様子。 釜山はは殆どの家がコンクリート作りで 日本の様に木造一戸建ての家は殆ど無い。 韓国には地震は少ないと言う。 | ||
(左)釜山・海雲台のホテル前 電飾の写真の撮りかたを色々試した。 でも、後で見ると写真と撮りかたの 関係が分からなくなってしまった。 比較的きれいに撮れたのを一枚。 (右)ホテルの窓から見た朝の浜辺 市街地の近くに奇麗な海水浴場がある。 砂浜も掃除が行き届いてゴミが無い。 釜山は山が迫っていて山の上まで家が。 |
歴史散歩の会で、京都に新選組の足跡を、二度ほど訪ねた。 NHKのドラマで見ているので、人名等分かりやすく親しみやすい。 ドラマを見ていく内に、堺 雅人の演技が上手かったのか、山南敬介が好きになった。 山南の実際は知るよしもないが、ドラマの上で、優しさと知性、煮え切らないで考え込む所、 少し間が抜けている所など、その平凡とも言える人間性に共鳴した。 屯所の八木邸近くに、光縁寺と言う小さなお寺があり、中に山南の墓がある。
(左)山南敬介の墓 光縁寺の一番奥に山南敬介の墓がある。 ここの和尚の説明が上手で、 勉強にもなりまた面白かった。 (右)観光客が増えたのか新しい看板がある 山南はその寺の瓦の紋が山南の家紋と同じで あったことから住職と親しくなった。 ここには新撰組の隊士28名の墓がある。 幕末の激しい息吹きが聞えてくる。 | ||
(左)八木邸前 八木邸の入場料は千円と高く、入場を避けた。 約二年、八木邸を中心に新選組は活躍するが その間、芹沢鴨の謀殺、山南の脱走、 池田屋事件など多くのドラマを残している (右)前川邸 八木邸の30m近くに、後の屯所となった前川邸 がある。ここの納屋で古高俊太郎の拷問をし、 守護職、所司代を襲う計画を知り、池田屋事件の 発端となった。 | ||
(左)壬生寺 八木邸の近くに壬生狂言で知られている壬生寺 がある。境内に新撰組の羽織を着て、観光客の 撮影に応ている?尋ねてみると、関東の方から 来ていて全く個人的に趣味でやっているとか。 奇特なひともいるものだ。 (右)壬生寺・近藤勇像 不良で動物的な土方歳三に対し、近藤勇は 誠実な 努力家であったらしい。何のために、 何を守ろうとし、何を変えようとしたのか。 本当は何だったのか。本人にきてみたい。 | ||
(左)伊東甲子太郎絶命の地・本光寺の中 本光寺の前でうろついてたら、おじさんが 寄ってきた。そして親切に寺の人を呼んでくれた。 門が開き寺の中から老いた尼さんが出てきて 狭い境内の中にある碑の説明をしてもらった。 (右)本光寺の尼さん 伊東甲子太郎は文武にすぐれた人で近藤が スカウトした。しかし勤皇論者である伊東と 近藤は意見が合わなくなり、新選組と別れた後、 芹沢と同じ策略で殺される。この乱闘を 油小路の変と言う。激しい時代である。 |
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NO | 日付 | 内容 |
1 | H16.5.30 | 弘川寺(西行終焉の地)・湖東三山 |
2 | H16.6.30 | 葛城・高雄・六甲山・志賀島 |
3 | H17.2.15 | 熊野三山・大門坂 森林公園 書写山 出石町など |
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