トップページへ 熊野古道後編へ 熊野古道伊勢路編 花と史跡をたずねて・目次
美女と歩く熊野古道・前編(全9回、延べ11日のバスツアー)
老人大学時代の美女二人と一緒に、トラピックスのツアーで熊野古道中辺路を歩き始めた。
全9回、延べ11日のバスツアーで、日程は次の通りである。
10年来の仲間と一緒にする旅で、楽しい旅となろう。
熊野古道は、世界遺産になってから、10年となり、整備が進んでいるが、厳しい山道には
違いない。
ウイキペディア・熊野古道
----------------------------------------------------------------------------------------------
H26年9月7日 熊野古道 第1回
第1回のコース 滝尻王子〜高原熊野神社(6.5km 高低差250m+α)
梅田集合 → 滝尻王子 → 熊野古道館 → 昼食 → ストレッチ体操 → ウオーキング出発
→ 胎内くぐり → ネズ王子 → 高原熊野神社 → 栗栖川バス停近く →梅田解散


ツアーのバス
バスは奈良交通で、1台40人が乗車、
梅田と難波発の2台のバスのツアー客
我々梅田発の添乗員は2児の母とか
|

「滝尻王子」.ウオークの出発点
ここで約20人あたり一人の語りべが付く
年齢は不明だが、高校生の孫がいる
ここは99王子の中で重要な5体王子
滝尻王子
|

世界遺産の石碑
立派な石碑が誇らしげに立ててある
高野山から熊野までの広い地域が対象
|

道標
500mおきに番号を振った道標。
7個あるはずだが、写真は歯抜け
道標は新しく、世界遺産を機に新設か?
中辺路には75の道標がありおよそ38km
|

ネジ王子
語部によると、ここは本来の王子でなく
滝尻王子を守る人が寝泊まりする
小屋あとの可能性が強いとのこと。
|

道中の山道
資料では第1回は4.5kmの距離で楽
なコースかと思ったら、イキナリ登り道
途中でリタイヤする人も出てきたが、
車が入る所までは、歩かざるを得ない |

飯盛山
今日の終点近くの飯盛山展望台341m
ここからの見晴が気持ち良い。
飯盛山
|

庚申さん
高原熊野神社の横手に庚申さんがある
昔はみな集まって会合をするのは禁止
だったが、庚申さんに名を借りて集まった
庚申信仰
|

高原熊野神社
今日の終点であるが、バス停までの
2kmはパンフレット外の徒歩である。
神社参拝の後、疲れた体をしばし休める
高原熊野神社
|
--------------------------------------------------------------------------------
H26年10月18日 熊野古道 第2回 (10.5km 高低差400m+α)
第2回のコース 高野熊野神社〜牛馬童子
梅田集合 → 中辺路行政局(降車)→ 高原霧の里→ 昼食→ストレッチ体操→大門王子→
十丈王子→ 大坂本王子→牛馬童子ふれあいパーキング→ 梅田
前回に、2回目のコースは、あまりきつくないと語り部は言っていたが、距離も上り下りもあった。
同行の美女の一名が途中で足が痛くなり、後半は、グループより少し遅れ気味となる。

道標収集
今回も5kmおきに建つ道標の
写真を撮った。
撮り落としが無いように、
注意したが、後で見ると10、13、14、18を
落としている。
少しでも注意を怠ると、
ひっそりと建っている道標は、
見落としてしまう。
注意力の限界だろうか。
|

高原霧の里休憩所
バス降車場から、前回終点の
”高原霧の里休憩所”まで2kmを登る。
熊野3600峰といわれる眺望が素晴しい
|

旅籠
高原霧の里一帯は、旅籠街だった。
今はその名残のみが残っている。
棚田も地形のみを残し、
いまは林や草原となっている。 |

舗装道路 (高原霧の里近辺)
ここまでは、一応舗装道路がある。
これから本格的な熊野古道に入り、
道路状況は一変する。
ここまでは皆余裕の表情?
|

一里塚跡
真新しい一里塚跡がたっている。
昔、4km毎に一里塚あり、
榎・松などが植えられ、旅人のための
里程標となっていた。
|

大門王子
中世以後の時代に建てられた王子。
大門の名は、この付近に熊野本宮の
大鳥居があったことによるという。
大門王子・ウイキペディア
|

十丈王子跡
中世に重點を通過したと記述がある。
重點の名が十丈に転じた理由は
明らかではないという。
十丈王子・ウイキペディア
|

小判地蔵
昔(1854)、行き倒れになった遍路が、
自分の死期が近づいたのを悟とった。
そこで、小判を口にくわえ、自分の死後
弔ってほしいと願った。・・との言い伝え。
|

悪四朗屋敷跡
伝説上の有名な人物で、力が強く、
頓知に長けていたといわれる。「悪」は
悪いと云う意味ではなく、勇猛ということ
背後の山を悪四郎山(782)と云う。
| 
上多和(うわたわ)茶屋跡・三体月
屋敷跡は山上近くにあり、熊野詣でが
盛んな頃は、茶屋があった。
陰暦の11月23日になれば、
三体の月が現れるとの言い伝え
雲による反射で月の明かりが拡散
|

大阪本王子
逢坂峠の麓にあることから名づけられた
1909年に近露の近野神社に合祀され、
廃絶。
大阪本王子・ウイキペディア
|

道の駅・牛馬童子ふれあいパーキング
大坂本王子を過ぎると国道311号に出る
国道を挟んで向かい側が今日の終点
・・・道の駅である。
次回のウオーキングはここから出発する
|
-------------------------------------------------------------------------------
H26年11月15日 熊野古道 第3回 (8.3km 高低差200m+α)
第3回のコース 牛馬童子〜小広王子
梅田集合 → 牛馬童子ふれあいパーキング(降車)→ストレッチ体操 →牛馬童子→近露王子→
古道あるきの里ちかつゆ(昼食)→野長瀬一族の墓 →比曽原王子→野中の清水→とがの木茶屋
→秀衡桜 → 安部晴明こしかけ石 → 中川王子 → 小広王子 → 梅田
熊野古道・なかへち観光協会
第3回のコースは、距離も少なく、舗装道路を歩く事が多くて、楽なコース。
同行の美女たちも元気に最後まで歩いた。コースは下記の地図の3のところ
道標収集 前回にそうとう撮り漏らしたので、同行の美女に設置場所を教えてもらいながら撮る。


牛馬童子像
熊野行幸を行った花山法皇の旅姿を
模して明治時代に作られたとされる
また、2008年に頭部損壊事件がおき
頭部を修復した。参考サイト
|

近露王子
1081年の藤原為房の参詣記に
「近湯」の地名が初見されている。
「ちかつゆ」の地名は、花山天皇がこの
地で萱の茎を箸にした時、茎の赤を見て
「これは血か露か」との問いに由来
近露王子参考サイト
|

野長瀬一族の墓
野長瀬氏は、十津川郷野長瀬組の出身
で13世紀初頭近露荘下司職となった。
楠木正成や護長親皇を助けたと太平記
参考サイト 野長瀬一族の墓
|

比曽原王子
緑泥片岩の碑のみ。
王子の名は『愚記』や『熊野縁起』に
あるが、早い時期に無くなった。
1739年の参詣記『熊野めぐり』には、
その由来を知る者がいなかった、とある
参考サイト比曽原王子
|

野中の清水
継桜王子の前に湧き出る清水。
日本名水百選のひとつに選定されている
現在も地元で飲料水・生活用水に利用
参考サイト 野中の清水
|

とがの木茶屋
熊野古道の継桜王子のそばにある
茅葺き屋根のとがのき茶屋
予約制で名物の茶がゆ等が食べられる
参考サイト 「とがの木茶屋」
|

安部晴明の腰かけ石
陰陽道の大家安部晴明が熊野を
めぐる途中でこの石で休んでいた、
その時、山が急に崩れそうになったが
呪術によって、崩壊を防いだとの伝え
参考サイト 安部晴明腰掛石
|

中川(中ノ河)王子
高尾隧道口の近く、山中に「中川王子」と
の碑がある。比較的早く設けられた王子
で中右記に「仲野川王子に参る」とある
参考サイト 中川王子
| 
小広王子
『道中記』1722年に「小広尾」なる王子
の名が登場するのが史料上の初出だが
既に社は失われていたという。
明治に金比羅神社に合祀廃絶された。
〜〜ここで、今日のゴールとなる〜〜
参考サイト 小広王子
|
-------------------------------------------------------------------------------
H26年12月17日 熊野古道 第4回 (11km 高低差400m+α)
第4回のコース 小広王子〜発心門王子
梅田集合 → 昼食(車内)→ 小広王子(スタート) → 蛇形地蔵→迂回路→
岩上王子(迂回路で訪問せず)→猪鼻王子(日暮れのため訪問せず)→発心門王子(ゴール) → 梅田
熊野古道・なかへち観光協会
第4回のコースは、距離が長く、峠を幾つも越えて行くコースで、本ツアー最大の難コース。
小広峠、わらじ峠、岩上峠、三越峠、発信門峠とアップダウンが続く。
さらに、雪がつもり、路面が凍結して、アイスバーン状態になり、極めて滑りやすくなっていた。
加えて、コースは下記の地図の4のところだが、2011年の水害で通れなくなった古道に代わり、
一部迂回路を通ったので、距離も少し長くなった。(下記、右側の図)
同行の美女の内一名が、途中から足に痛みを感じだし、足を引きずりながらの行程となるが、
気力で最後まで歩き通した。
2011年の水害で通れなくなった古道に代わり、一部迂回路を通ったので、距離も少し長くなった。

道標
今回の道標は41番から61番までだが
当初語り部から、道が厳しいので
写真や史跡で隊列を乱さない様にと
注意があったので道標収集は諦めた
|

熊瀬川王子
小広王子からの100mのところにある。
設立年代も含めて、実在の疑問が残る。
参考・熊瀬川王子
|

迂回路
仲人茶屋の近辺から、迂回路に入る。
川沿いを下り、応急的に作られた道を
歩く。この間は史跡は全くなくなり
ただ、急坂を黙々と歩く
|

雪中行進
凍結した迂回路を黙々と歩く。
滑ると、事故になるので、一歩、一歩
踏みしめて歩く
この辺の行程が、後で疲れを
呼ぶことになる。
|

蛇形地蔵
迂回路を抜けると、蛇形地蔵がある
この付近の海藻の化石が蛇の鱗に見え
「蛇形石」と名づけられた
難所の岩神付近で、行き倒れる者が多く
その亡霊がつき災厄が絶えなかった
参考サイト 蛇形地蔵
|

湯川王子
甲斐から流された武田某は岩神峠の
山賊を退治し、その功で領地を賜った。
土地の名湯川を名乗った武田の子孫は
豪族のようになり、広大な土地を支配。
ノーベル賞の湯川氏は、一族の養子。
参考サイト 湯川王子
|

玉姫稲荷、船玉神社
神様が溺死しそうな蜘蛛を、木の葉を
投げ助けた。蜘が水をかく様子を見て
船を思い付き、最初の船となる伝説。
参考サイト 船玉神社
|

日暮れの山道を歩く
時計は、17時22分を指す。
冬至に近いこの時期、日暮れは早い
懐中電灯を頼りに、山道を歩く。
思い出にはなったが、その時は必死
| 
発心門王子(重要な5体王子)
ここからが神域。仏道に入り修行への
志を固めることを意味する。
難コースで相当疲れたが、最後の力で
フラッシュに浮かぶ写真を撮る。
〜ここで今日のゴール 17時45分〜
参考サイト 発心門王子
|
-------------------------------------------------------------------------------
H27年1月7日 熊野古道 第5回 (7km 高低差250m+α)
第5回のコース 赤木越え
梅田集合 → 昼食(車内)→ 発心門王子(スタート) → 猪鼻王子 → 船玉神社→赤木分岐点→
なべわり地蔵→柿原茶屋跡→湯の峰王子 → 小栗判官蘇生の地 → 東光寺(ゴール) →梅田
赤木越え 参考サイト
コース地図は次の通り

注意事項やストレッチ
今回の語り部は前回と同じ小山さん
発心門のバス停近くでストレッチ
その後、注意事項や説明を受ける
時刻12:28
|

発心門王子
前回の最後の写真と同じ場所だが
今回は背景が写って、全体の雰囲気が
出る。前回の最後の写真と見比べてね
|

猪鼻王子
前回日暮のため、パスした猪鼻王子。
林道から崖沿いの細い道を下ると
王子跡がヒッソリとあった。
猪鼻王子 参考サイト
|

船玉神社
前回は船玉神社の隣にある玉姫稲荷
を撮った。今回は境内に入り、
船玉神社の写真を撮る。
参考資料は、第4回の写真参照のこと
|

赤木分岐道標
船玉大社付近、分岐道標がある。
道標の後、150m程の標高差を
一気に上る。その後は尾根道が続く。
参考サイト 赤木分岐
|

鍋割地蔵
一遍上人の弟子がここで昼飯を炊た時
水汲みの間に、水が無くなり鍋が割れた
食事が出来なくなった反省の場所
参考サイト 鍋割地蔵
|

湯の峰王子
もとは東光寺の境内にあったが
1903年(明治36年)5月の火災で、
焼失、現在地に再建された
参考サイト 湯の峰王子
|

小栗判官蘇生の地
常陸の国に、小栗氏と言う一族が居た。
病が重くなったが、湯の峰の薬湯により
全快した。が後に、合戦に敗れ滅亡
参考サイト 小栗判官蘇生の地
| 
東光寺
伝承によれば、湯の花が自然に積って
薬師如来の形となったものを
裸形上人が見出し、本尊として創建
今日のゴール16:22 この後付近を散策
参考サイト 東光寺
|
-------------------------------------------------------------------------
H27年3月4日 熊野古道 第6回 (4km 高低差250m+α)
第6回のコース 大日越え
梅田集合 → 昼食(湯の峰温泉)→ 湯の峰王子(スタート)→ 鼻欠地蔵 → 月見ヶ丘神社→
大斎原(ゴール)→梅田
大日越え 参考サイト コース・地図

いきなり急坂
今回の語り部は沢さん(男)
湯の峰温泉のバス停近くでストレッチ
の後、急坂を登り始める
時刻13:10
|

鼻欠地蔵
昔、棟梁に弁当を届ける弟子が
地蔵に弁当のご飯を一欠らあげていた
棟梁に盗喰いと疑われ、手斧で鼻を
切られたとの言い伝え。時刻13:43
|

道標
写真で道標集めをしていたが、撮影時
他の人の邪魔になるので、全てを集める
のは、止めていた。大日越の文字のもの
を記念に一枚。
|

月見ヶ丘神社
お祭りの時に、湯の峰から此処まで
稚児を肩車に乗せて歩くという。
静かな林に、ポツリと祠(ほこら)が
時刻14:05 |

熊野本宮大社旧社地「大斎原」
ここがゴール地点の入り口であるが
大斎原は広く、バス停まで暫らく歩き
一遍上人の碑や大鳥居などを見る
参考サイト・大斎原
|

一遍上人の碑(昭和47年)
熊野本宮で、一遍が証誠殿の真下に
籠った時、夢枕に熊野権現が現れ、
悟りを開かせたとの言い伝え
一遍上人と熊野本宮 |
美女達と大鳥居

|